大判例

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東京地方裁判所 平成5年(タ)396号 判決

原告

マーガレットXこと

X

右訴訟代理人弁護士

藤木美加子

成田信子

後藤康淑

右訴訟復代理人弁護士

松下正

被告

Y

右訴訟代理人弁護士

小沢征行

秋山泰夫

藤平克彦

香月裕爾

香川明久

右訴訟復代理人弁護士

露木琢磨

宮本正行

吉岡浩一

西村孝一

大徳誠一

主文

一  訴外亡A(平成二年六月一四日死亡)と被告の間に養子関係が存在しないことを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、中国人の訴外亡A(以下「A」という)の実子であると主張する原告が、Aと養子縁組した(以下「本件養子縁組」という)と主張する中国人の被告に対し、その養親子関係の不存在の確認を求めた事案であるが、中心的争点は、(一)原告適格の有無、確認の利益の有無、(二)事実上の養親子関係の準拠法は日本法か中国法か、(三)中国法における事実上の養親子関係を認める要件は何か、(四)本件において右要件を充足しているか等である。

一  前提事実

1  被告は、一九三七年(昭和一二年)六月一日、訴外孫阿文らの子として中国で出生し、七、八歳のときに訴外亡B1(以下「B1」という)及びその中国の妻B2(以下「B2」という)夫婦の養子となった中国人であり、昭和二七年一二月二二日、B2とB1・B2夫婦の子である訴外B3(以下「B3」という)と共に、B1の招きによって来日した(甲第一五号証、乙第九号証、被告本人尋問の結果。但し、右来日の際にAも被告を招いたか否かについては後記のとおり争いがある)。

2  戦後間もない時期にB1とAは、日本において事実上の夫婦関係にあった(甲第一六号証、第四三号証の二、乙第一六、第一七、第七八号証。その後もB1とB2及びAとの間に重婚的内縁関係が続いたか否かについては後記のとおり争いがある)。

3  B1は、昭和六一年四月七日死亡し、Aは、平成二年六月一四日死亡した(甲第四三号証の二、乙第六〇号証)。

4  B1の相続については、B2が妻として、B3が長男として、訴外B4(以下「B4」という)が二男として、原告及び被告がいずれも養女として、昭和六一年七月一一日、右各相続人間に遺産分割協議が成立し、原告及び被告は、B1が所有していた東京都中央区銀座〈地番略〉所在の宅地70.11平方メートル及び同区勝どき〈地番略〉所在の宅地342.71平方メートルの各持分八分の一と、訴外東山企業株式会社(以下「東山企業」という)の株式二万八一二五株などをそれぞれ相続した(乙第三五号証の一、二)。

なお、B1の死亡に際し中国大使館が発行した公証書には、同人の相続人として、右各人の名が記載されており、原告も「養子女」と記載されている(乙第二六号証)。

5  Aの相続については、B4、原告、訴外程巧保(以下「程巧保」という)、訴外程連保(以下「程連保」という)らが、平成二年六月六日付公正証書遺言及び同月七日付自筆証書遺言に基づいてAを相続し、原告は、Aが所有していた東京都中央区銀座〈地番略〉所在の宅地65.65平方メートル及び同地上の地上一〇階建の建物と、東山企業の株式一五万株などを相続した(甲第二四、第四六号証、乙第一九号証の二)。

なお、Aの右各遺言には被告の名は記載されていないが、Aの死亡に際し中国大使館が発行した公証書(以下「本件公証書」という)には、同人の相続人として、右各人のほか、被告が「養子女」として記載されている(乙第一号証)。

また、東山企業の発行済み株式四七万五〇〇〇株は、同年九月、二九七億〇〇三二万五〇〇〇円で売却された(甲第四六号証)。

6  被告は、自分がAの養子であると主張したうえで、平成三年一二月一三日、原告に対しAの右自筆証書遺言が原告の偽造したものであるとしてその無効確認を求める訴えを東京地方裁判所に提起したが(平成三年(ワ)第一七九八三号事件。以下「別訴」という)、平成八年三月一日、右偽造の事実が認められないとして、被告がAの養子であるか否かについて判断されることなく、本件被告敗訴の第一審判決がなされた(甲第一一、第四六号証)。

7  原告主張の原告、被告、並びにA、B1らの身分関係図は別紙1のとおりであり、被告主張のそれは別紙2のとおりである。右のうち、原告からB4及びB3を相手とし、本件と同様のAとの親子関係不存在確認を求める訴えがそれぞれ提起されている(前者につき東京地方裁判所平成五年(タ)第三九〇号、後者につき同年(タ)第三九三号事件。なお、前者については本件口頭弁論終結後の平成八年一〇月四日、後者については同じく同年九月二六日、それぞれ右各親子関係が存在しないことを確認する旨の判決がなされた)。

二  当事者の主張

(被告の主張)

1 本案前の抗弁

(一) 原告適格について

(1)① 縁組当事者以外の第三者が養親子関係不存在確認事件の原告適格を有するためには、養親子の一方の親族であって、判決により自己の相続、扶養等の身分関係上の地位に直接影響を受ける関係にあることが必要であると解されるところ、被告は複数の者から原告がAの実子ではないと聞いていること、Aの夫で原告の実父とされる訴外程興安(以下「程興安」という)が実在する人物かどうかは不明であること、中国人の間では同姓の者が結婚することは禁忌となっていること、興安という名前が文京区に存在する興安寺と一致すること、原告の学籍簿(甲第六号証の三)には、原告の保護者として「程興平」なる人物の名前が記載されていること等からすれば、原告はAの実子でも養子でもなく、Aの親族ではないというべきなので、本件訴訟の原告適格を欠く。

なお、Aと原告の母子関係についての鑑定書(甲第三七号証)によると、Aと原告の間の母権総合肯定確率が99.965%になるとされているが、ミトコンドリアDNAは、血液型のようないくつかのパターンに分かれており、判定型による偶然の一致を免れることができないうえ、ミトコンドリアDNAは、母系遺伝するものであるから、原告とA間に同一型のミトコンドリアDNAが認定されても、両者間に母系のつながりがあることの証明にすぎず、その血縁度は確定できないものであり、ミトコンドリアDNA分析法は、親子関係の確定のためには不十分な方法であるから、右鑑定結果の信用性には疑問がある。

② 仮に、原告がAの実子又は養子であったとしても、原告はB1とその正妻であるB2夫婦の養子となっており、Aとの親子関係は消滅しているのであるから、原告は原告適格を欠く。

(2) 他人間の養親子関係不存在確認訴訟について当該親子以外の第三者が原告適格を有するためには、単に当該親子の親族であるだけでは足りず、親子関係の存否確定について法律上直接の利益を有していなければならないところ、原告は、Aの自筆証書遺言を偽造したものであるから受遺欠格者であり、右法律上直接の利益を有しておらず、また、受遺者としての原告適格もない。

(二) 確認の利益について

人事訴訟事件においては、判決の効力も対世的であるため、確認の利益も単なる個別的な利害関係では不十分であり、その確定についての身分関係上の利益でなければならないところ、本件訴訟は、相続権の存否という単なる財産関係上の紛争の先決問題にすぎないから、本件訴訟は確認の利益を欠く。

2 本案について

(一) 準拠法について

渉外養親子関係不存在確認事件の準拠法については、当事者の本国法とするのが判例であり、また本件養子縁組時である昭和二七年における旧法例一九条(現行法例二〇条)からしても、本件における養子縁組の準拠法は、被告及びAの本国法である中国法である。

(1) これに対し、原告は、中国法では、養子の住所地法が適用される等反致を主張するが、中国のいかなる法律にかかる反致規定があるのか不明であるし、かかる司法先例が存在するかも不明であり、そもそも渉外養子縁組について適用される法規範が存在するか不明である。

原告は、一九九二年四月一日に施行された養子縁組法についての国務院司法部の立法説明(甲第三九号証)をもって反致の根拠とする。しかし、国務院司法部長による説明は、全国人民代表大会に提出される法律案についての行政府の立法意見にすぎないものであり、最高人民法院の意見のような法規範的効力を有するものではなく、成立した養子縁組法の公権的解釈であるとは到底いえない。そして、実際に成立した養子縁組法には、渉外養子縁組の準拠法に関する規定が定められていないのであるから、同法の制定にあたっては、司法部の右説明にある法理が採用されなかったものであり、原告主張のごとき渉外養子縁組に関する確立された原則及び司法先例が存在するはずもない。

したがって、本件養子縁組の準拠法は、反致条項の存在が明らかでない以上、当事者の本国法たる中国法である。

(2) 仮に、原告主張のとおり、養子縁組法に渉外養子縁組の準拠法について住所地法の原則が定められているとしても、一九九二年三月二六日公表された最高人民法院の「養子縁組法の学習、宣伝、貫徹執行に関する通達」(甲第四〇号証。以下「最高人民法院通達」という)は、「養子縁組法が施行される前に発生し、施行されてから当事者が養子縁組の確認を請求した事案について、当時の関係規定を適用する。当時の規定がない場合には、養子縁組法を照らし合わせて処理する」として、養子縁組法が遡及しないことを宣言したものであり、例外的に当時の法規範が明らかにされないときは、養子縁組法を参考にして対処すべき法規範を定立することを求めているにすぎず、右意見によって、本件養子縁組の準拠法が日本法となるものではない。また、一九八一年二月二一日に出された最高人民法院の「婚姻法を適用する問題に関する通知」も、「一九八〇年一二月三一日以前に受理した未解決の婚姻案件、及び既に法的効力のある判決が出されているが、当事者が上訴した婚姻案件は旧婚姻法によって処理する。一九八一年一月一日以後受理した婚姻案件は新婚姻法によって処理する」としており、中国が、身分関係の実体法規範が遡及しないとの法原理を採用していることが示されている。

原告は、中国継承法の遡及適用を認めた最高裁判所第三小法廷平成六年三月八日判決をもって、国務院司法部の立法説明及び最高人民法院の意見の法規範的効力が認められ、よって養子縁組法についても遡及適用が認められると主張するが、右判例は、継承法に未処理案件についての遡及効を認める際の判断事情の一つとして人民議会における立法説明をあげているにすぎず、継承法と養子縁組法では、成文法制定前における法規範の普及状況が著しく異なることにも照らせば、右判例は、右立法説明が直ちに法規範としての効力を有すると判断したものではない。

なお、仮に、原告主張のとおり、本件養子縁組について日本法が準拠法となり、日本法によって養子縁組をすることになれば、被告が本件養子縁組をした昭和二七年では、未だ日本の公的機関が外国人の養子縁組届出を受理する取扱はなされていなかったのであるから、本件養子縁組は事実上不可能になり、中国本土以外に生活する華僑の生活を侵害し、「本章の規定によって外国の法律又は国際慣例を適用する場合に、中国の一般公共の利益に背いてはならない」ことを定める中国民法通則一五〇条に違反する結果となるから、原告の主張は失当である。

(二) 中国の養子制度、ことに収養の制度について

(1) 被告がAと養子縁組をした一九五二年(昭和二七年)当時においては、中国では養子縁組に関する法律が整備されておらず、被告とAとの養親子関係は事実上の養子関係、すなわち収養関係によらざるを得なかった。

(2) 右の収養に関する成文法規は存しないが、最高人民法院は、一九八四年八月三〇日に、「民事政策法律の執行を貫徹するに当たっての若干の問題についての意見」(甲第一四号証、乙第八号証。以下「最高人民法院意見」という)において、「養父母と養子女の関係で確かに長期間共同生活していることを親族・友人や大衆が公認し、あるいは関係組織が証明したものについては、まだ合法的な手続をとっていなくとも、収養関係によって対処すべきである」としている。

この意見は、養子縁組に関する法律が整備されず、普遍的な法規範が確立されているともいえない状態が長く続いていた中国社会において、既に国民の家族生活の間に広範に形成されていた事実上の養親子関係を法的に承認する実質的必要性が存したことにより表明されたものであるから、これが出されるまでに形成されていた事実上の養親子関係をも対象として表明されたものであり、本件養子縁組についても当然適用される。

そして、一九八〇年制定の婚姻法二〇条が、「国家は合法的な収養関係を保護する」と規定するのみで、合法的な収養関係とは何か、また養子縁組の要件及び手続について何も規定していないこと、また、一九八二年以来の大部分の公証機関の職務の再開にともない、公証暫定条例によって公証機関が養子縁組の公証手続を取り扱うことが職務範囲として明定されたが、多くの一般人民はこれを知る由がなかったことに照らせば、養子縁組法の公布前になされた私的な養子縁組は、社会的に見て親子としての実体を備えている以上、それが法の基本原則と社会道徳に反しない限り、厳格な要件で羈束することなくこれを保護するという法規範が存在し、右意見はこれを端的に示したものである。

(3) 具体的な養親子関係の存否の判断にあたっては、単に関係当事者の呼称、共同生活の期間のみによるのではなく、中国社会の持つ多様かつ複雑な社会的現実に即して柔軟に事実関係を把握評価し、そこに実質的な養親子としての親子関係が形成されているか否かを個別具体的に判断すべきである。

また、最高人民法院意見にいう「合法的な手続」とは、書面契約を指すのではなく、中国における公証機関の公証手続等を指すものである。

(三) 被告とAとの養子縁組の成立

被告とAとの間には、右の収養による養親子関係が成立した。すなわち、

(1) 「長期間共同生活していること」に当たること

① 被告は、B1・Aの夫婦の招きにより来日し、東京都中央区東銀座で両者と同居した。なお、原告も、別訴においては、被告が来日直後東銀座でAと同居し、その後も被告とAが親しく親子と、また原告と被告も姉妹と呼び合っていた事実を認めている。

被告は、来日当初、右居宅で、Aから自分を「お母さん」と呼ぶように言われ、以後Aを養母として生活することを了承した。したがって、被告が来日した時に、養子縁組に関する両者の意思が合致し、この時、本件養子縁組が成立した。

② そして、被告の来日直後、B1・A夫婦は、訴外博仁特古斯らを中華料理店に招いて被告を養女として披露した。

被告は、昭和二八年五月、B1に連れられて東京都千代田区紀尾井町に転居したが、その後も頻繁にAと会っており、同人も被告のために料理を作ったり、洋服を買い与えたりしており、被告は、来日してから大学を卒業するまでの間、一貫してB1とAに扶養されていた。

被告は、大学卒業後、Aの経営するパチンコ店「銀座一番」に会計係として勤務した。

③ 被告は、昭和三八年、訴外阮建治と婚姻したが、婚約の場には、Aが被告の養母として出席した。また、被告は、双子の姉妹を出産したが、Aはこれを孫として可愛がり、その結婚式に祖母として出席した。

被告は、昭和四〇年、Aから金銭的援助を受けて、東京都練馬区北大泉に自宅を購入した。また、被告は、昭和四三年にはこれを売却して神奈川県川崎市に新たに自宅を購入したが、建物が完成するまでの約二か月間、銀座でAと同居した。

被告は、昭和四三年から四五年まで、Aが経営していた中華料理店「銀座飯店」のレジ係として勤務し、昭和四九年から五四年までの各年の夏期に、Aが茨城県で経営していた旅館を手伝い、昭和六一年から平成二年までは、Aが経営する東山企業の取締役としてこれを助け、経理全般を手伝ってきた。

④ Aは、中国の故郷に生前に自分の墓を作ったが、その墓石には被告を子として銘記しているし、Aから被告宛の手紙においても被告を娘と呼び、自らを愚母と称している。

さらに、平成二年、Aと被告は、アメリカに在住する原告を訪問したが、その際にアメリカに提出した非移民査証申請書の同行者記載欄にAは被告を娘と、被告はAを母と記入している。

⑤ なお、被告は、Aと正式な養子縁組届出をしていないが、渉外養子縁組を行うためには、要件具備証明書を提出しなければならないところ、Aとの養子縁組が成立した昭和二七年当時は、未だ日中間に国交がなく、中華民国を支持しない大陸出身者は、右証明書を取得することができず、戸籍に関する届出を行うことは不可能であった。そして、在日中国人にとっては、在日中国人間の養子縁組という身分に関する問題については、当事者間においてそのような身分が存在することを前提として扶養等の義務を果たし、通常の家族生活を営み、華僑社会において親子として認知されていれば、あえて日本の行政機関に対して養子縁組届出をする積極的な理由がなかったものである。また、被告やAは、本件養子縁組当時、養子縁組届を日本の行政機関に提出できることを知らなかった。

Aと程連保が、昭和六〇年に養子縁組届出をしたのは、程連保が中国に居住する中国人であったことから、専ら日本での在留資格を得ようとしたにすぎない。そして、昭和二七年当時と異なり、昭和六〇年には、法的に安定した家庭生活を営むために日本の行政機関に対する届出も重視しなければならない環境になっていたため、右届出をしたものと考えられる。

⑥ 他方、B1は、昭和八年に来日し、翌年中国に戻り昭和一一年に再来日した後、昭和二〇年にAと出会って以来、終生夫婦関係にあったものであり、Aは、B1の日本における正妻である。

その後、両者は、昭和二一年に共同で東京都台東区上野田原町で中華料理店を開業したほか、浅草で旅館を経営し、昭和二七年には銀座六丁目で中華料理店「東豊采館」を開業した。この開業を契機として、両者の共同事業は東山企業に発展した。

B1は、昭和二八年に被告とともに紀尾井町に移ったが、Aもそこで生活していたことがある。

B1は、昭和四六年から死亡するまで東京都港区新橋〈地番略〉に居住していたが、これはAが経営する訴外株式会社東豊名義で購入したものであり、B1はここで生活するについて管理費は負担したが、Aに家賃を払ったことはない。

Aは、B1が死亡した後、中国の同人の墓地の隣に自らの墓を建て、B1の供養をしていた。

⑦ 原告は、自分はB1の養子でなく、継子であると主張しつつ、B1が死亡した際に、同人の養子としてこれを相続しているものであるが、中国では養父母と継子女は、父母の一方が死亡し他方が子女を連れて再婚し、あるいは父母が離婚し、子女を扶養する側又は双方が子女を連れて再婚して形成される父母子女関係であり、また、妻と前夫又は夫と前妻との間に生まれた子女が継子女であり、母の後夫又は父の後妻が継父母であり、親族関係からみると一種の婚姻関係であるとされており、継承法一〇条も、扶養関係をもつ継子に相続権を認めているから、原告がB1の遺産を相続したことは、B1とAが婚姻関係にあり、B1と原告が扶養関係にあったことを意味するうえ、共同相続人である被告がB1とA夫婦の事実上の養子であることをも意味する。

(2) 「関係組織の証明」があること

本件公証書には、被告がAの養女であると記載されているところ、このような公証書は、訴外東京華僑総会(以下「華僑総会」という)の記録や情報に基づいて、最終的に中国大使館が問題ないと判断した場合に発行されるものであるから、本件公証書の発行は、日本の華僑社会において、被告とAが養親子関係にあることが広く認められており、中国大使館も両者の養親子関係を公認したことを示しており、「親族友人や大衆が公認し」あるいは「関係組織が証明した」ことにあたる。

また、在日華僑の相続については、相続人を確定するために右のような公証書を必要とするところ、B1の相続に際しても前記のとおり公証書に従った遺産分割協議がなされているばかりか、Aと程連保の養子縁組届も、右公証書に依拠してなされたものであり、その証明力は高い。なお、原告も、B1を相続する際に、右公証書を援用しているものであるから、原告が本件公証書の効力を否定するのは矛盾している。

(3) 原告主張の「その他の要件」に対する反論

① 原告は、養子縁組法が遡及することを前提に、後記2(二)(3)①において、養子は同時に二人の養親を持つことができないこと、同②において、未成年者を養子にするにはその実父母の同意が必要であること、同③において、一旦養子縁組をした養子が更に別の養親の養子となるためには、最初の養子縁組を解消しなければならないこと、同⑦において、本件養子縁組が養子縁組法四ないし六条、一五条二項に反することをそれぞれを主張する。

しかし、前記のとおり、一九九二年三月二六日付最高人民法院通達は、養子縁組法が遡及しないことを宣言したものであり、例外的に当時の法規範が明らかにされないときは、養子縁組法の規定を参考にして、対処すべき法規範を定立することを求めているにすぎないから、本件においては、昭和二七年当時の中国の養子縁組に関する法規範が適用されるのであり、養子縁組法が遡及的に適用されるものではなく、これを前提とした原告の右主張はいずれも失当である。

仮に、原告の右各主張が認められるとしても、B1とAは夫婦であり、被告は来日時に両者の養女となったものであるから、AとB2が同時に被告の養親となったものではない(右①について)。また、実父母の承諾についても、被告はそもそも幼小のときから実父母との関係が切れていたうえ、昭和二七年当時は日中間に国交がなく、往来することすら困難で、中国にいる実父母の承諾を得ることは不可能であったから、本件養子縁組については、実父母の承諾は不要と解すべきである(右②について)。

② 原告は、後記(二)(3)④⑤において、事実養子の成立要件なるものを列挙して被告とA間に養親子関係が存しないと主張するが、その中に事実上の養親子関係の認定要素足りうるものが存在することは否定できないものの、そのうちのいずれかが欠ければ事実上の養親子関係が否定されるものではないから、原告の右各主張は失当である。

③ 原告は、後記(二)(3)⑥において、被告がB1、B2及びAの三人と養親子関係にあることは、中国婚姻法の原則である一夫一妻制及び重婚の禁止に反するから、本件養子縁組は成立しえないと主張するが、中国の法制は、実情に即して柔軟に対処しているものであり、一九八五年九月一一日に出された最高人民法院の「継承法の執行に関するいくつかの問題点についての意見」も、「旧社会で形成した一夫多妻制の家庭の中では子女と実母以外の父のその他の配偶者の間に扶養関係があれば、互いに相続権がある」としているのであるから、前記のとおり、被告とAとの間に扶養関係がある以上、互いに相続権があるから、すなわち、養親子関係があるものであるから、原告の右主張は失当である。

3 訴権の濫用

原告が本件訴訟を提起した真の理由は、B1の遺産の相続分に不満を持った原告が、Aの遺産相続の機会にその遺産を独占して、右不満の解消を図ることにあるから、原告の本訴提起は訴権の濫用である。

(原告の主張)

1 本案前の抗弁

(一) 原告適格について

(1)① 原告は、Aの実子であり、本件訴訟の原告適格を備えている。なお、被告は別訴においては、原告がAの実子であると主張していたのであるから、本件訴訟における前記主張は禁反言の原則に照らして許されない。

② 原告はB2の養子ではないし、仮に、原告がB2の養子であったとしてもAとの親子関係は存続しているから、原告適格の問題とは関係がない。

(2) 原告は、Aの自筆証書遺言を偽造したものではないから、受遺者としての原告適格を備えている。

(二) 確認の利益について

死亡した養親と生存する養子の間の養親子関係も、その存否が紛争になることにより、現存する関係者の身分関係又は法律関係に不安ないし危険が生じ、これを抜本的に解決するために養親子関係の存否を確定することが最も有効適切であると認められる場合には、右のような身分関係ないし法律関係の当事者である第三者に養親子関係不存在の確認の利益が認められる。

また、かかる確認は、親子関係を基本的前提とする諸般の法律関係を明確にする等のためにも必要であるから、相続をめぐる紛争の前提問題として養親子関係の存否を争うことができるからといって、独立の確認の利益がないとすることはできない。そして、実際に、相続をめぐる紛争がある場合には、その紛争との関係において少なくとも相続人の範囲を決定し、これによって紛争を解決することに資するから、やはり確認の利益を有するものである。

2 本案の主張

(一) 準拠法について

本件における養子縁組の成否については、日本法が準拠法となる。

(1) 中国では、華僑の養子縁組については、中国法ではなく、養子の住所地法が適用され、同時に養親の住所地法に違背することができないものとされており、その縁組手続は、縁組が行われた地の手続に従うものとの確認された原則及び司法先例が存在する。

① すなわち、中国で一九九二年四月一日に養子縁組法が施行されるに伴い、国務院司法部はその立法説明として、「渉外的養子縁組の実質的成立要件については、養子の住所地法を適用し、また、同時に養親の住所地法に反してはならない。渉外的養子縁組の形式的成立要件については、縁組当時の行為地法が適用となる。渉外的養子縁組の効力については、養親の住所地法が適用になる」との公権的解釈を発表した(甲第三九号証)。

右立法説明は、養子縁組法法律議案の説明であり、現行の養子縁組法とともに官報で公布され、国務院の養子縁組法に関する公権的解釈として取り扱われている。養子縁組法の立法趣旨を説明した公式の文献は、これ以外に存在しないうえ、右立法説明は、最高人民法院から出版された「婚姻並びに収養にかかる法規選編」にも登載されているところ、かかる本の題名からも、右立法説明が中国政府が示した養子縁組法の公権的解釈であることは明らかである。

中国では、法規範としての効力を有するものは制定法のみに限られないところ、国務院は、中国の最高国家権力機関であり、中国の人民政府そのものであり、その公権的解釈は政府機関の法律解釈として、それ自体が法規範としての効力を有する。しかも、養子縁組法三二条は、国務院に、同法の実施方法について大幅な権限を付与しているのであるから、右立法説明の法規範的効力の裏付けとなる。

なお、国務院司法部が、中国に短期滞在する外国人の渉外養子に関して一九九〇年七月七日に出した通達(甲第五二号証)によれば、養子縁組の行為は、養父母の居住国の法律に違反していないことが必要とされ、養父母が居住する国の養子縁組に関する法律に違反していないことを証明する書類の提出が要求されている。この通達によれば、中国では、渉外養子の準拠法として、養親の居住地法が採用されていることが明らかである。また、中国の身分関係に関する法律は、海外に多く在住する華僑の生活関係を念頭に置いていることが多く、住居地法を重視している。

② そして、最高人民法院は、右養子縁組法に関する解釈に関し、一九九二年三月二六日、前記「養子縁組法の学習、宣伝、貫徹執行に関する通達」において、「養子縁組法が施行されてから発生した養子縁組は、本法を適用する。養子縁組法が施行される前に受理し、施行されたときに未だ審決していない縁組事案、または養子縁組法が施行される前に発生し、施行されてから当事者が養子縁組の確認を請求した事案については、当時の関係規定を適用する。当時の規定がない場合は、養子縁組法を照らし合わせて(類推して)処理する」との公権的解釈を発表した(甲第四〇号証)。そして、被告が養子縁組が成立したと主張する一九五二年(昭和二七年)当時、中国には養子縁組に関する明文の規定が存在しなかったのであるから、被告主張の養子縁組については、養子縁組法及びその立法説明を類推して判断がなされるものである。

なお、国務院司法部の前記立法説明及び最高人民法院通達による公権的解釈の法規範性については、最高裁判所判例においても認められるところである(最高裁第三小法廷平成六年三月八日判決)。

(2) したがって、本件における養子縁組の準拠法は、実質的成立要件については養子の住所地法、形式的成立要件については縁組当時の行為地法である。その結果、日本の旧法例一九、二九条(現行法例二〇、三二条)により反致され、実質的・形式的要件双方について、日本法が準拠法となる。

そして、民法七九八条によれば、未成年の養子は、家庭裁判所の許可を受けなければならないと規定され、同法七九九、七三九条によれば、養子縁組は届出によって効力を生じると規定されているところ、右許可も届出もないのであるから、被告主張の養子縁組は成立しておらず、被告とAの間に養親子関係は存在しない。

(二) 仮定主張

仮に、本件における養子縁組の成否を、被告主張のように一九八四年八月三〇日付最高法院意見における、「養父母と養子女の関係で確かに長期間共同生活していることを親族・友人や大衆が公認し、あるは関係組織が証明したものについては、まだ合法的な手続をとっていなくとも、収養関係によって対処すべきである」との要件にあてはめても、被告主張の養子縁組は成立せず、又は無効である。すなわち、

(1) 「長期間共同生活していること」に当たらないこと

① Aと被告は一度も同居したことがなく、被告は、来日以後結婚するまで一貫してB1に扶養されていたものであり、Aに扶養されていない。

仮に、被告が、東銀座でAと一時同居したことがあったとしても、その期間は来日した昭和二七年一二月二二日からB1が紀尾井町に新居を建築した昭和二八年四月二〇日ころまでの約四か月にすぎず、「長期間共同生活していること」には当たらない。なお、被告は、原告がAの実子でないと主張するが、被告が、一時期でもA・原告と生活を共にしていたならば、原告がAの実子であることを知っていたはずであるから、被告は、Aと長期間共同に生活をしていないものである。

また、Aが、甥である程連保、程巧保については、日本法の方式に従って養子縁組届出をしたにもかかわらず、被告についてはこれをしていないこと、及びAが作成した公正証書遺言には、被告の相続について何ら触れていないことからすれば、Aに被告を養子とする意思はなかったものである。

② 他方 Aは、原告を連れてB1と東京都台東区浅草で生活を共にしたこともあったが、B1が粗暴であったこともあり、Aが昭和二三年ころに東京都中央区銀座六丁目に前記中華料理店「東豊采館」を開業し、B1もその隣にキャバレー「銀馬車」を開業したことを契機として、両者の生活関係は解消していたものである。

被告は、AがB1の日本の正妻であったと主張するが、一夫一婦制は、中国婚姻法の大原則であるから、B2という正妻がいる以上、AがB1の妻であるはずがない。これはB2が唯一の妻としてB1を相続し、AがB1を相続していないことからも明らかである。

原告は、B1の継子として扱われたが、これは日本法でいう養子とは全く異なる概念である。

(2) 「関係組織の証明」がないこと

本件公証書の発給を求めた申請書は存在しないところ、公証機関には申請人の申請なくして証明書を発行する権限はないものであるから、本件公証書は申請に基づかずに発給されたものとして効力がない。なお、本件公証書の作成にあたり、華僑総会が関与していたとしても、右総会は法人格を有しておらず、在日華僑の親睦団体にすぎないものであり、会員の身分関係について公正かつ正確な資料を保有する公的な組織ではなく、その事務処理能力も有していないものであるから、右総会の関与は本件公証書の信用性を一層低減させるものである。

また、原告は、別訴において、本件公証書の発行の基となった資料について中国大使館に文書送付嘱託の申立を行ったものであるが、中国大使館からは今日に至るまで何らの説明もないまま、右資料が送られていないのであるから、大使館では本件公証書の発給にあたり、何らの資料も有していなかったと解すべきであり、本件公証書は、中国で公証書が発給される通常の手続を全く逸脱して発給されたものであり、その証明力はない。

また、「関係組織」とは、中国の「村民委員会」や「所属単位」を指すのであって、申請人の家族関係を把握していない公証人を指すのではなく、いずれにしても、本件公証書は「関係組織の証明」にあたらない。

(3) その他の要件

① 養子縁組法によれば、養子は同時に二人の養親を持つことができないとされているところ、被告は、来日時、既にB1・B2夫妻の養子であったものであるから、同時にAの養子となることはできない。

② 養子縁組法によれば、未成年者を養子とするためには、その実父母の同意が必要であるとされているところ、被告の実父母はAに右同意をしていないから、被告がAの養子となることはできない。

③ 養子縁組法によれば、一旦養子縁組をした養子が、更に別の養親の養子となるためには、最初の養子縁組を解消しなければならないとされているところ、被告は、来日後、B1の紀尾井町の家で、B1・B2夫婦と共に生活しており、養母であるB2との生活は同人が中国へ帰国するまでの間二年以上も継続していたものであって、B2も、来日の翌年である昭和二八年一月二八日に被告と同じ住所において外国人登録を行い、また、同年一一月一九日に被告と同様に住所を被告の養父であるB1の居宅である紀尾井町へ移転していたものであるから、仮に、被告とAが一時的に生活を共にしたことがあっても、その間も被告は継続して養母であるB2と生活を共にしていたものであり、被告とB2の養親子関係は続いていたものであるから、被告は、B2の養子縁組を解消していない以上、Aの養子となることはできない。

④ 中国法における事実養子とは、養親、養子並びに養子に代わり養子縁組をする者(送養人)すべてが法に規定する養子縁組の実質的要件を全て備えてはいるが、縁組手続をするにあたり、法に従った公証、司法機関の承認等の形式的要件を欠く場合をいう。すなわち、中国法においては、

イ 成人(養親・収養人)が、学齢に達しない他人の子(養子)を自らの子供とする目的で、送養人(多くの場合送養人は実父母である)との合意で引き取ること、

ロ 養親は、養子を自らの子として相当長期間共同生活をし、かつ養子に対する親権を行使していること

ハ 養親は、養子と養子縁組を結んだことを示す対外的な儀式(披露)を行っていること

ニ 養子と実父母の関係が完全に断ち切られていること

ホ 養親と養子が同一の姓を名乗っていること

ヘ その養親子関係が、養子縁組法の基本的要件に反せず、かつ養親子関係を認めることが法令、並びに社会的慣習に照らして相当であること

の全ての要件を満たした場合に、養子縁組についての形式的要件を欠いても、養子縁組関係を認める場合があるところ、被告とAの関係は右各要件を満たさず、両者の間に養親子関係は存在しない。

⑤ 中国法における事実養子の成立要件は、養子と養親が同居することであるから、中国法の適用により事実養子が成立するためには、養子と養親が共に中国内で同居を開始することが要件であるところ、被告は、Aと日本において同居を開始したと主張し、また日本に永住する目的で中国を離れているので、中国法における事実養子は成立しえない。

⑥ 前記の一九八四年八月三〇日付最高人民法院意見においては、「裁判所は、養子案件を審理する時には、婚姻法二〇条の規定に基づいて合法的な養子関係を保護し、養育者と被養育者の合法的な権益を保護しなければならない」とされ、婚姻法二〇条は、「国家は合法的な収養関係を保護する」と規定しているのであるから、中国法により保護される収養関係は、婚姻法に従った合法的な収養関係に限られると解すべきであり、婚姻法二条によれば中国は一夫一婦制を原則としており、同法三条によれば重婚は禁じられているところ、B1とB2は夫婦であったから、B1、B2及びAが同時に養親となって養子縁組をすることは、一夫一婦制の原則及び重婚の禁止に反する結果となるので、合法的な収養関係に該当せず、被告とAの間に養親子関係は成立しえない。

⑦ 前記の一九九二年三月二六日付最高人民法院通達における「当時の規定がない場合は、養子縁組法を類推して処理する」との公権的解釈の発表により、本件における被告主張の養子縁組については、養子縁組法を類推して判断がなされるものであるところ、本件において被告が主張する養子縁組は、同法四ないし六条、一五条二項にそれぞれ反し、二四条一項により無効となる。

すなわち、同法四条では、養子となれる者は、一四歳未満の未成年者で、父母を喪失した孤児、又は生父母を探すことのできない遺棄児童、又は生父母が子女を扶養するに特に困難で無力であるときに限ると規定されているところ、被告は、来日時既に一五歳であるばかりか、右のいずれの事由にも該当しない。

同法五条では、養子を出すことができる者(送養人)は、孤児の後見人、又は社会福祉機関、又は子を扶養するに特に困難、無力である生父母と規定されているところ、Aは、右のいずれの者とも養子縁組の合意をしたことはなく、また、右規定の反対解釈によれば、養父母は送養人になることができないから、被告の養父母にすぎないB1・B2夫婦は、Aに対する送養人になることができない。

同法六条では、養親(収養人)は、子のない者であり、かつ養子を扶養・教育する能力のある者であり、かつ満三五歳に達している者であることが必要であると規定されているところ、Aには原告という実子がいたのであるから、これにあたらない。

同法は一五条二項では、養子縁組は縁組当事者間の書面協議によらなければならないと規定されているところ、Aは送養人との間で右協議をしたことがないから、右要件を充たさない。仮に、B1・B2夫婦が被告の送養人となる資格を有していたとしても、義母となるAと、送養人であるB1・B2夫婦との間で、Aが被告を養子として迎え、B1・B2夫婦が被告をAの養子に出すとの書面による協議は成立していないから、やはり右要件を充たさない。

同法二四条一項では、養子縁組法に反する養子縁組は無効であると規定されているから、本件において被告が主張する養子縁組は、仮に成立していたとしても、無効である。

3 訴権の濫用

被告の主張は否認又は争う。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本案前の抗弁)について

1  原告適格について

(一)  養子縁組の当事者でない第三者が養親子関係不存在確認事件の原告適格を有するためには、養親子の一方の親族であって、判決により自己の相続、扶養等の身分関係上の地位に直接影響を受ける関係にあることが必要であることは被告の指摘するとおりであり、この点に関し、被告は、自分が複数の者から原告がAの実子ではないと聞いていること、原告の学籍簿には原告の保護者として「程興平」なる人物の名前が記載されていること等を根拠に、原告がAの実子又は養子ではないから、本件訴訟の原告適格を欠く旨主張し、甲第六号証の三、乙第一五号証及び被告本人尋問の結果中には被告の右主張に沿う記述・供述部分がある。

しかし、甲第一号証、第七号証の一、第一六、第二一、第三七号証(原告とAの母子関係を肯定する鑑定書)、乙第七七号証によれば、原告はAの実子であると認められ、前記甲第六号証の三、乙第一五号証及び被告本人の供述も右認定を左右するものとはいえない。

したがって、原告は、本件において養子縁組の一方当事者であるとされるAの親族であると認められるから、本件訴訟の原告適格を備えているものというべきである。

この点、被告は、右鑑定書(甲第三七号証)について疑問を呈するが、右鑑定書の鑑定方法が、ミトコンドリアDNA分析法に尽きるものではないこと等に鑑みれば、被告が指摘する疑問点は、右鑑定書全体の信用性を左右するものとはいえない。

また、被告は、仮に原告がAの実子であったとしても、原告はB1・B2夫婦の養子となっており、Aとの親子関係は消滅しているのであるから、原告は原告適格を欠くと主張するが、後記認定の事実経過からすると、原告とB2が養子縁組したことを認めるに足りる事情は窺えないうえ、仮に原告とB2との間に養親子関係が成立したとしても、原告はAの実子である以上、本件訴訟の原告適格を備えているものであるから、被告の右主張は採用することができない。

(二) さらに、被告は、原告がAの自筆証書遺言を偽造した受遺欠格者であるから、他人間の養親子関係の不存在を主張する法律上の利益を有していないうえ、受遺者としての原告適格もない旨主張し、これに沿う乙第二一号証(右遺言が偽造されたことを肯定する裁判外の鑑定書)の記述部分もある。

しかし、甲第二二号証の一、二、第二三号証に照らせば、右乙第二一号証の記述部分を直ちに採用することはできず、他に原告が右自筆証書遺言を偽造したことを認めるに足りる証拠はないから、被告の右主張を採用することはできない。なお、別訴の第一審判決(甲第四六号証)においても、右自筆証書遺言はAが作成し有効に成立したものであると認定されている。

2  確認の利益について

被告は、人事訴訟事件においては、判決の効力も対世的であるため、確認の利益も単なる個別的な利害関係では不十分であり、その確定についての身分関係上の利益でなければならないところ、本件訴訟は、相続権の存否という単なる財産関係上の紛争の先決問題にすぎないから、本件訴訟は確認の利益を欠くと主張する。

しかし、死亡した養親と生存する養子の間の養親子関係について、その存否が紛争となることにより、現存する関係者の身分関係又は法律関係に不安ないし危険が生じ、これを抜本的に解決するために養親子関係の存否を確定することが最も有効適切であると認められる場合には、右のような身分関係又は法律関係を有する第三者に養親子関係不存在の確認を求める利益が認められるものというべきであり、かかる確認は、親子関係を基本的前提とする諸般の法律関係を明確にする等のためにも必要であるから、相続をめぐる紛争の前提問題として養親子関係の存否を争うことができるからといって、直ちに独立の確認の利益がないとすることはできないものと解するのが相当である。そして、本件訴訟で争われている事柄が、相続権の存否という単なる財産関係上の紛争の先決問題にすぎないことを認めるに足りる証拠もないから、被告の右主張は採用することができない。

二  争点2(被告主張の養子縁組の成否)について

1  準拠法について

(一) 被告主張の養子縁組が成立したとされる昭和二七年当時の旧法例一九条一項(現行法例二〇条一項)は、渉外養子縁組について「養子縁組ノ要件ハ各当事者ニ付キ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム」と規定しているから、被告及びAが中国国籍を有する以上、養子縁組の準拠法は右両者の本国法である中国法であるのが原則である。

しかし、旧法例二九条(現行法例三二条本文)は、「当事者ノ本国法ニ依ルベキ場合ニ於テ其国ノ法律ニ従ヒ日本ノ法律ニ依ルヘキトキハ日本ノ法律ニ依ル」と規定しているから、中国に右のごとき法律が存在する場合には例外的に反致が生じ、養子縁組の準拠法は日本法となる。ただ、右のごとき反致を認める法律が存在しないか、又はその存在が明らかでない場合には、原則どおり本国法である中国法が準拠法となると解される。

(二) そこで、右のごとき反致を認める中国法が存在するか否かについて検討する。

(1) まず、一九九二年(平成四年)四月一日施行された中国養子縁組法における右の反致の規定の有無をみるに、一九八五年(昭和六〇年)一〇月一日施行された中国継承法(相続法)三六条が渉外相続事件に関して規定し、また、一九八七年(昭和六二年)一月一日施行された中国民法通則が八章「渉外民事関係の法律の適用」を設けたうえで、一四三条で民事行為能力に関して、一四四条で不動産の所有権に関して、一四五条で渉外契約に関して、一四六条で権利侵害行為に関して、一四七条で婚姻に関して、一四八条で扶養に関して、一四九条で遺産の法定相続に関してそれぞれ規定している(乙第六五号証)のに対し、中国養子縁組法(乙第六三号証)は、渉外養子に関しての特別な規定を設けるとの国務院司法部の立法説明(甲第三九号証)があったにもかかわらず、審議の結果渉外養子に関する規定が全く置かれなかったことに鑑みれば、結局、同法は渉外養子縁組について、「日本ノ法律ニ依ルヘキ」(旧法例二九条)との反致を認める法理を採用しなかったものと解さざるを得ない。

したがって、このような中国に反致を認める法律が存在しない(あるいは少なくともその存在が明らかでない)以上、本件で問題となっている養子縁組については旧法例一九条一項により、右養子縁組の当事者である被告及びAの本国法である中国法が準拠法になると解すべきである。

(2) この点に関し、原告は、右の国務院司法部の立法説明はそれ自体が法規範としての効力を有することは、日本の最高裁判所においても認められているものであり(最高裁第三小法廷平成六年三月八日判決)、国務院司法部は養子縁組法の立法説明として、「渉外的養子縁組の実質的成立要件については、養子の住所地法を適用し、また、同時に養親の住所地法に反してはならない。渉外的養子縁組の形式的成立要件については、縁組当時の行為地法が適用となる。渉外的養子縁組の効力については、養親の住所地法が適用になる」との公権的解釈を発表した(甲第三九号証)から、中国法において渉外養子について反致を認める法理が採用されたものであると主張する。

しかし、乙第七一号証によると、国務院司法部長による説明は、全国人民代表大会に提出される法律案(草案)についての行政府の立法意見にすぎず、最高人民法院の意見とは自ずから性質を異にするものであって、結局、全国人民代表大会で、右意見にある渉外養子に関する法理が採用されなかった以上、その法規範的効力をある程度考慮するにしても、右立法意見をもって、直ちに反致を認める法理が採用されたものであると認めることはできない。また、原告援用の右最高裁判所判例は、制定された継承法の基本原則とその立法説明が一致していることから、同法発行前の継承案件について、右立法説明を同法の遡及適用の理由としているにすぎず、右判例が、直ちに国務院司法部の立法説明の法規範的効力を認めたものとはいえないから、いずれにしても、原告の右主張を採用することはできない。

また、原告は、国務院司法部が、一九九〇年七月七日、中国に短期滞在する外国人の渉外養子縁組に関して、養子縁組の行為は、養父母の居住国の法律に違反していないことを必要とし、養父母が居住する国の養子縁組に関する法律に違反していないことを証明する書類の提出を要求した通達を出していること(甲第五二号証)から、中国では、渉外養子の準拠法として、養親の居住地法を採用している旨主張するが、本件のように中国人同士の外国における養子縁組が問題となっている場合とは異なる事案についての右通達をもって、本件における養子縁組の準拠法の根拠とすることは妥当でないというべきであるから、原告の右主張も採用することができない。

(三) 以上により、本件における養子縁組の成否を判断すべき準拠法は中国法であるというべきである。

2  中国の養子制度について

(一) 甲第一二号の二、第一四号証、乙第八、第七〇号証、第七二号証の一、二によれば、中国では、長期にわたって、養子縁組に関する法律が整備されなかったうえ、公証機関が閉鎖されていたため、養子縁組については事実上の養子関係(収養関係)によらざるを得なかったこと、最高人民法院は、かかる現状に鑑みて、一九八四年(昭和五九年)八月三〇日に、「民事政策法律の執行を貫徹するに当たっての若干の問題についての意見」において、「養父母と養子女の関係で確かに長期間共同生活していることを親族・友人や大衆が公認し、あるいは関係組織が証明したものについては、まだ合法的な手続をとっていなくとも、収養関係によって対処すべきである」と定めたことが認められる。

したがって、中国法上は事実上の養子が認められており、最高人民法院の右意見は、前記の中国養子縁組法制定前の養子に関する法律関係を律するものとして、法規範的効力を有し、かつ、本件で問題となっている昭和二七年当時も同様の法制であったとみられる。

そして、右の事実上の養子が認められる要件としては、①「養子縁組の合意に基づき養父母と養子女の関係で確かに長期間共同生活していること」を実質的要件とし(なお、右意見中には「養子縁組の合意に基づき」との要件は明示されていないが、右合意の存在は、養父母と養子女の間で長期間共同生活していることの当然の前提とされているものと解される)、②これを「親族・友人や大衆が公認したこと」又は「関係組織が証明したこと」を形式的要件とするものと解すべきであり、かかる要件を満たしたものが、未だ法的手続をとっていなくとも、事実上の養親子関係(収養関係)として保護されるものと解される。

(二) なお、右の点に関し、原告は、前記一九九二年三月二六日付最高人民法院通達(甲第四〇号証)において、「養子縁組法が施行されてから発生した養子縁組は、本法を適用する。養子縁組法が施行される前に受理し、施行されたときに未だ審決していない縁組事案、または養子縁組法が施行される前に発生し、施行されてから当事者が養子縁組の確認を請求した事案については、当時の関係規定を適用する。当時の規定がない場合は、養子縁組法を照らし合わせて処理する」とされているところ、被告が養子縁組が成立したと主張する一九五二年(昭和二七年)当時、中国には養子縁組に関する明文の規定が存在しなかったのであるから、本件については右の養子縁組法が類推されるとしたうえで、同法が規定する養子縁組の成立要件を引用して、被告主張の養子縁組が右要件を充足していないから成立していないと主張する。

しかし、右通達は、「養子縁組法が施行される前に発生し、施行されてから当事者が養子縁組の確認を請求した事案については、当時の関係規定を適用する。当時の規定がない場合は、養子縁組法を照らし合わせて処理する」としているにすぎず、前記最高人民法院意見によって定められた事実上の養親子を制度上排除することまで規定しているとはいえないから、原告の右主張は採用することができない。

3  本件における養子縁組の成否について

(一) そこで、本件において被告とAとの間に、右最高人民法院意見が定める事実上の養親子関係(収養関係)が成立したか否かについて判断するに、前記前提事実に、甲第一号証、第四号証の一ないし三、第五号証、第七号証の一、第九号証の一ないし三、第一〇号証、第一五ないし一七号証、第一八、第一九号証の各一、二、第二一号証、第二二号証の一、二、第二三、第二四号証、第三二ないし三七号証、第三八号証の一、二、第四一号証、第四二、第四三号証の各一、二、第四八号証、乙第一ないし三号証、第四号証の一、二、第五ないし七号証、第九、第一六、第一七号証、第一九号証の一、二、第二六ないし三〇号証、第三五号証の一、二、第三八ないし五二号証、第五七ないし六一号証、第七六ないし九〇号証、証人岡本寿美子、同博仁特古斯、同劉俊南の各証言、原被告本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1) 被告について

① 被告は、一九三七年(昭和一二年)六月一日、訴外孫阿文らの実子として中国で出生し、七、八歳の時、B1・B2夫婦の実子であるB3の許嫁とする目的で同夫婦に引き取られ養育されていた。

② 被告は、昭和二七年一二月二二日、B1の招きにより、B2、B3と共に来日した。

被告は、来日後、B1が東京都千代田区紀尾井町に昭和二八年四月頃自宅を建築するまでの(B1が右宅地を購入したのは昭和二七年五月)約四か月の間、東京都中央区銀座八丁目のAの家で、A・原告、B1・B2・B3らと同居していた。

そして、被告は、昭和二八年四月頃、右紀尾井町のB1の家に移り住み、B1、B2、B3らと同居し始めた。ただ、その後も右銀座の家のAを訪ねたことが何度かある。

なお、被告は、外国人登録において、昭和二八年一月二〇日付で居住地「東京都中央区銀座〈地番略〉」・世帯主「本人」とされ、B3の許嫁とされていたことが窺われるが、同年一一月一九日付で居住地「東京都千代田区紀尾井町〈地番略〉」・世帯主「B2・長女」と、昭和二九年三月三〇日付で居住地右同所・世帯主「B1・長女」と登録され(甲第四号証の一ないし三)、B1・B2夫婦の養女にされていたことが推認される。

また、B2は、外国人登録において、昭和二八年一月二〇日付で被告と同住所の「東京都中央区銀座〈地番略〉」・世帯主「B1・妻」と、同年一一月一九日付で被告と同住所の「東京都千代田区紀尾井町〈地番略〉」と登録されている。但し、B2は、昭和三〇年六月二二日、中国に帰国し、その後日本を訪れていない(甲第四八号証)。

③ 被告は、昭和二八年五月、T中学校に入学し、その後、昭和三〇年四月からK女子高校に入学し、昭和三三年三月同校を卒業し、同年四月にM大学(女子短期大学)に入学し、昭和三五年四月に同校商学部に編入し、昭和三七年三月同校を卒業した。被告は、来日してから大学を卒業するまでの間、一貫してB1に扶養されていた。

④ 被告は、大学卒業後、Aの経営するパチンコ店「銀座一番」に会計係として勤務したことがある。

⑤ 被告は、昭和三八年に訴外阮建治と婚姻したが、Aはその婚約の場に被告の養母として出席した。

⑥ 被告は、昭和四〇年八月、Aに多少の金銭的援助をしてもらって東京都練馬区北大泉に住居を購入した。

昭和四三年には、右住居を売却して、神奈川県川崎市京町に土地を購入したが、右住宅が完成するまでの約二か月間、前記銀座八丁目のA宅で同人と同居した。

⑦ 被告は、その後数年間、Aが経営していた中華料理店「銀座飯店」のレジ係として勤務したり、夏期にはAが茨城県で経営していた旅館を手伝い、また、昭和六一年から平成二年までは、Aが代表取締役を務める東山企業の取締役として経理を担当していた。

(2) Aについて

① Aは、一九一〇年(明治四三年)一〇月一三日、中国で出生し、一九三五年(昭和一〇年)一月一〇日に来日し、夫である程興安と共に、当時の東京市本郷区〈地番略〉で暮らし、一九三七年(昭和一二年)一二月二〇日原告を出生したが、程興安は、一九四四年(昭和一九年)死亡した。

② Aは、昭和二〇年頃、一九三六年(昭和一一年)に再来日していたB1と知り合い、同居を開始した。

Aは、昭和二一年頃、台東区浅草に中華料理店「天楽」を開業し、昭和二二年頃には、東京都中央区銀座六丁目に中華料理店「東豊采館」を開業した。

③ Aは、その後、B1と別居して、原告と共に右銀座六丁目に住み始めた。そして、B1もその隣にキャバレー「銀馬車」とレストラン「チョコレートショップ」を開業したことを契機として、両者の同居生活は解消されたものの、在日華僑社会では夫婦として行動し、実質的には主に事業の共同経営者の関係として存続し、後にこの事業は東山企業に発展した。

なお、B1の外国人登録の居住地は、昭和二二年八月八日付で、「東京都台東区浅草〈地番略〉」、昭和二五年一月一六日付で「同区浅草公園〈地番略〉」、昭和二九年三月二日付で「東京都千代田区紀尾井町〈地番略〉」とされ、Aのそれは、昭和二五年一月一六日付で「東京都台東区浅草〈地番略〉」、昭和二七年七月二五日付で「同区浅草公園〈地番略〉」、昭和二七年一二月二四日付で「東京都中央区銀座〈地番略〉」、昭和二九年一一月二五日付で「同区銀座〈地番略〉」とされており、登録上は同居していない。但し、昭和二五年一月一六日から同二七年までの間は、Aの世帯主は「B1」であり、続柄が「妻」として登録されている(甲第四三号証の一、二、乙第一七号証)。

④ Aは、昭和二六年頃、東京都中央区銀座八丁目に家を建築し、原告と二人で住み始めた。Aは、B1が紀尾井町に自宅を建築し移り住んだ後も、何度か同所を訪れていた。

⑤ Aは、被告の娘に、自らを「おばあさん」と称して葉書を出したことがあり、平成元年九月に行われた被告の娘の結婚式にその「祖母」として出席した。

Aは、B1死亡後、中国の故郷の同人の墓地の隣に生前自分の墓を作ったが、その墓石には被告を子と銘記している。また、Aから被告宛の手紙においても被告を娘と呼び、自らを「愚母」と称している。

さらに、平成二年、Aは被告と共に、米国に在住する原告を訪問したが、その際にアメリカに提出した非移民査証申請書の同行者記載欄にAは被告を娘と、被告はAを母と記入している。

(3) 原告について

原告は、一九三七年(昭和一二年)一二月一〇日、程興安・A夫婦の実子として日本で出生した。

原告は、昭和二〇年頃AがB1と同居したことを契機に、B1の継子として扱われ、昭和二九年八月アメリカに留学するための書類を作成する際に、B1からB姓を使用するよう強く求められたため、同姓を記載し、これをきっかけにB姓を名乗るようになった。但し、A姓も併行して名乗っていた。

そして、原告は、右留学後、アメリカで結婚し、約四〇年にわたって同国に居住しているが、Aに会うために何度か日本に帰国していた。以上のとおり認められる。

右の点に関し、乙第九号証及び被告本人尋問の結果中には、被告が来日後前記紀尾井町の家に移り住んだのは昭和二八年秋頃であった旨記述・供述する部分があるが、右は乙第三九号証(B3の陳述書)、甲第三二号証及び証人岡本寿美子の証言に照らし信用することができない。また、被告がAと一度も同居したことがないとする甲第一六号証及び原告本人の記述・供述部分は、被告本人尋問の結果に照らし信用できない。

(二) 右認定事実をもとに、まず、被告とAとの間の関係が、事実養子が成立するための実質的要件である「養子縁組の合意に基づき養父母と養子女の関係で確かに長期間共同生活していること」に該当するか否かについて判断する。

(1)  右認定事実からすると、被告が来日した時にB1とAが事実上の夫婦関係にあったとは認められないうえ、被告は七、八歳の頃から既にB1・B2夫婦の養子となっていたものであり、被告は一五歳であった昭和二七年一二月二二日から昭和二八年四月頃までの約四か月間Aと同居していたことがあるものの、紀尾井町のB1宅に移転してからは、Aと離れてB1・B2夫婦と同居し、B2が中国に帰国した後も一貫してB1に扶養されていたものであって、外国人登録においても、世帯主「B2・長女」、世帯主「B1・長女」と登録されていたものである。

右の事実関係に照らすと、まず第一に、被告が来日した当時に、被告とAが養子縁組の合意をし双方がこれを承認したとの事実を認めることはできない(なお、その後、Aは、昭和六〇年に程連保、程巧保について日本法に基づく養子縁組届出をしている(甲第一七号証)にもかかわらず、被告についてはそれをしておらず、Aの前記公正証書遺言及び自筆証書遺言には、B4、原告、程連保、程巧保らが相続人として記載されているが、被告の名は記載されていないものである)。

(2)  次に、前記認定事実によれば、被告は、来日直後の昭和二七年一二月二二日から昭和二八年四月頃までの約四か月間と、昭和四三年中の約二か月間の合計六か月間Aと同居していたことが認められるところ、前記甲第一二号証の二、乙第七〇号証、第七二号証の一、二によれば、事実養子に関する学説上の解釈として、具体的な養親子関係の存否の判断にあたっては、養親子が共同で生活していることが重要な要素となり、一般的には三年以上の同居期間が目安とされつつも、関係当事者の呼称、共同生活の期間のみを要素とするものではなく、親子関係を証明するその他の資料を有している場合には関係当事者が共同生活をしていなくても親子関係を認めることができ、当該養親子関係が法の基本原則と社会道徳に反しない限り、これを保護すべきであると解されていることが認められ、共同生活期間の長短のみが事実上の養親子関係の認定要素であるわけではないと解されるとしても、被告は、Aとわずか約六か月間しか同居していなかった(しかも後の二か月間は、前記のとおり、新居が完成するまでの仮の住居であったにすぎない)うえ、養母であるB2とも二重に同居し、Aとの同居を解消した後もB2との同居を継続し、かつ一貫して養父であるB1に扶養されていたものであるから、結局のところ、被告は、Aとの関係において、事実養子の実質的要件としての長期間共同生活をしていたとは認められないというべきである。

(3) この点に関し、被告は、被告が大学卒業後にAの経営するパチンコ店に会計係として勤務していたこと、被告の婚約の場にAが養母として出席したこと、Aが被告の自宅購入に金銭的援助をしたこと、被告がA経営の中華料理店のレジ係として勤務したことがあり、同人が経営していた旅館を手伝ったこともあること、被告がAが経営する東山企業の取締役として経理を担当していたこと、Aが被告の娘に「おばあさん」と称して葉書を出し、被告の娘の結婚式に「祖母」として出席したこと、Aが自分の墓に被告を子と銘記していること、Aがアメリカに居住する原告を訪ねた際に提出した非移民査証申請書の同行者記載欄に被告を娘と記入したこと等を強調し、右の各事実が認められることも前認定のとおりであるが、それらをもってしても、被告が主張する被告の来日当時におけるAとの養子縁組意思の合致を認定すること、並びにAとの長期間同居の要件の充足を認定することはいずれも困難であるといわざるを得ない。

また、被告は、原告がB1の養子でなく継子であると主張しながら、B1が死亡した際に同人の「養子」としてこれを相続している事実は、B1とAが婚姻関係にあり、B1と原告が扶養関係にあったことを意味するうえ、共同相続人である被告がB1とA夫婦の事実上の養子であることをも意味する旨主張するが、原告がB1の養子として同人を相続した事実は、B1と原告が扶養関係にあったことを意味するとしても、これが直ちに、被告とAが養親子関係にあったことまでを意味するものとはいえないから、被告の右主張は失当である。なお、原告とB1との扶養関係は前認定のとおりであったにもかかわらず、原告がB1の相続との関係では同人の養子として相続しておきながら、Aの相続の関係では被告とAの養親子関係を否定してその相統の途を閉ざすことは、実質的に不均衡を生じる面があることは否定できないが、B1の右相続における前記の遺産分割協議は、あくまでも当事者間の任意の合意であり、そのような私的合意によって身分関係の存否を判断する裁判における前記のとおりの事実上の養子の要件の解釈や認定を左右することはできない。

さらに、被告は、本件公証書には、被告がAの養女であると記載されているから、本件公証書の発行は、日本の華僑社会において、被告とAが養親子関係にあることが広く認められており、中国大使館も両者の養親子関係を公認したことを示していると主張するが、本件公証書の存在自体は、あくまで形式的要件の該当性の問題と捉えるべきであり、右公証書の存在をもって前記のとおりの実質的要件の該当性を認定することはできない。

(4) 以上によれば、被告とAとの間には、事実養子の実質的要件を欠くこととなるから、形式的要件である「親族・友人や大衆が公認したこと」又は「関係組織が証明したこと」の該当性につき判断するまでもなく、右両者間に事実上の養親子関係を認めることはできず、他には、被告がAと養親子関係にあることを認めるに足りる証拠はない。

三  争点3(訴権の濫用)について

被告は、原告が本訴を提起した理由は、B1の遺産の相続分に不満を持った原告が、Aの遺産相続の機会にその遺産を独占するためにあったから、原告の本訴提起は訴権の濫用にあたる旨主張するが、原告がかかる意図で本件訴訟を提起したことを認めるに足りる証拠はないし、本訴によって被告とAとの養親子関係が否定されることにより、相続財産の帰属に関して実質的に不均衡を生じる面があることは前記のとおりであるとしても、原告とB1との間の養親子関係の存否はこれとは別異に判断されるべき性質のものである。

したがって、本訴の提起そのものが訴権の濫用にあたるとする被告の右主張は採用することができない。

第四  結論

以上によれば、被告とAとの間に養親子関係が存在しないことの確認を求める原告の請求は理由があることに帰する。

よって、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大和陽一郎 裁判官齋木教朗 裁判官菊地浩明)

別紙〈省略〉

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